閑古鳥の唐揚げ

全然客が来ない定食屋で鳴いていた閑古鳥を唐揚げにしたら美味しくて繁盛したが閑古鳥がいなくなり唐揚げが作れなくなったという古典落語があります。嘘です。このブログも繁盛させたいです。

第15唐 鈍り行き #1

ソメイヨシノが満ち咲く川沿いを、私は歩いていた。家からほど近いこの土手は、サラリーマン時代によく犬を散歩させた道だった。太陽を反射する水面の向かいでは、真新しいランドセルを背負った小学生が3人並んで歩いている。風で乱れた前髪を直しながらふと桜並木に目をやると、満開の中に1本だけ枯れ切った木があった。華やかな桜たちから取り残されたその裸木を、私は直視することが出来なかった。

 

 

春は出会いと別れの季節だと言うが、私のこの春には、別れだけが訪れた。会社、友人、そしてお金。ただでさえ少なかった貯金は、あっという間に底をつき、気温の上昇と反比例するように、懐は寒くなっていった。

 

1週間前、新しい年度を迎える日に、私はとうとう、財布を質に入れた。それ以外にお金になりそうなものが見当たらなかったこともあるが、何よりお金の入っていない財布の姿が不憫に思えたのである。そうして手に入れた数千円も、7日間ですぐに消えていった。残ったお金は149円。金額の割にジャラジャラとポケットの中で音を立てる硬貨達は、楽器を本業とした方が良さそうだ。

 

149円をどう使うか。桜並木が終わるまでに、その結論に辿り着かねばならない。コンビニでおにぎりを買い、小腹を満たすか。この土手に寝転がって食べるおにぎりは、さぞ美味しいだろう。さっきの子供達にあげてもいい。未来のある彼らの小腹の方が、私なんかよりもよっぽど大切だ。若者の価値ある小腹を満たすことが私の価値だと、思考と桜並木が結びに近づいて来た時、川と交差するように伸びる線路の踏切が見えてきた。そうか、この近くには駅がある。隣駅までの切符で、終着駅まで電車に揺られるのも悪くない。折り返してこの駅まで戻ってくれば、130円で車窓を眺める旅に出ることが出来る。


私は駅に着くと、予定通り切符を購入した。音色の変わったポケットを揺らしながら改札に切符を通した私の心には、まだ見ぬ街を車窓から眺めることへの期待感と、額面以上の距離を移動することへの罪悪感が生まれていた。


私は都心から離れる方面のホームへ向かった。電車を待っているのは、錆びれたベンチに腰掛けた老女だけだった。私は、その老女の前を通り過ぎて、ホームの端へと向かった。せっかくならば、先頭の車両で進行方向の景色を見ながら旅がしたい。頬杖をつきながら流れる風景を眺める自分の姿を想像すると心が踊ったが、川辺の新一年生達を思い出し、その踊りを恥ずかしく思った。大人というのは落ち着いているものなのだ。


10分ほど待つと、電車の到着を知らせるアナウンスが流れた。私は長く伸びるホームの端で身を乗り出しながら電車が見えるのを待った。しかしなかなか姿を見せない。すると私の背中側から突然、大きな汽笛が聞こえた。驚いて振り返ると、電車はすでに目の前まで迫ってきていた。私は仰け反って大きく2歩後退し、そのまま余韻で5歩刻んだ。驚いた所を周りに見られなかっただろうか、一瞬だけとはいえカッコ悪い事をしてしまった、電車が来る方向を間違えていたことが悟られなかっただろうか、と頭で考えながらもポーカーフェイスを保ち、さらにポケットに手を入れた。電車が完全に止まるまで大人の余裕をポーズで示し続けた後、誰か見ていなかったかとホームを見渡した。しかし私の目に映ったのは車体とホームの隙間だけに注意を向けてゆっくりと乗り込んむ老女の姿だけだった。私はポケットの1円玉をまさぐりながら最後尾の車両に乗り込んだ。

 

《#2へつづく》