閑古鳥の唐揚げ

全然客が来ない定食屋で鳴いていた閑古鳥を唐揚げにしたら美味しくて繁盛したが閑古鳥がいなくなり唐揚げが作れなくなったという古典落語があります。嘘です。このブログも繁盛させたいです。

第17唐 空耳

ある朝、いつものようにお気に入りの洋楽を聴いていると、やけに歌詞が日本語のように聴こえることに気づいた。

「空耳ってやつか」

初めはそう思っていたが、どうも様子がおかしい。

歌詞の一部分だけでなく、全ての歌詞が日本語に聴こえるのだ。

 

「空耳イヤーですね」

耳鼻科の医者は聞きなじみの無い言葉を放った。

「なんですかそれ?」

「洋楽の歌詞が日本語に聴こえてしまう病気です。通称空耳イヤー、医学的には突発性内耳神経洋調症候群と言います」

「聴いたことないですね」

「かなり珍しい病気ではあります。でもここ数年増えてるんですよ」

「そうなんですか」

「この病気は音楽の聴きすぎが原因なんです。特に邦楽と洋楽を雑食的に聴くと良くない。最近一日中音楽を聴いたりする人が増えているので、それに伴って患者さんも増えてますね」

「確かに私も基本何か聴いてます」

「おそらくそれが原因かと思います。少し控えた方がいいでしょう」

「そうですか...ちなみに治るものなんですか?」

「大体1年くらいで治るので、空耳yearと呼ばれているんです。たまに1時間で治るものもありますが」

 

私は家に帰るとすぐに、イヤホンを棚の奥にしまった。

しかし習慣を変えるというのは中々難しいもので、夜になると欲求がどうしても抑えられなくなり、無意識のうちに貧乏ゆすりも多くなっていた。

「急に音楽を断つと禁断症状が出る場合があります。なので、少しづつ量を減らして行った方がいいですね。」

私は医者の言葉を思い出し、10分だけと決めてイヤホンを装着した。

 

すると、案の定洋楽の歌詞が全て日本語に聴こえてきた。

しかしその日本語は普通ではなく、

『砂漠 広辞苑で調べ 発狂』

『でんじろう 作る 八宝菜 ビリビリ』

『醤油持つ豆腐屋 銭湯でダイブ』

のように、訳が分からないがやけに意味は通っている。

「ちょっと面白いな」

妙な日本語を聴いている私の表情は自然と緩んでいた。

1年後には治るというのだから、むしろ今のうちにこの変な世界を楽しんだ方が得だろう。

私は翌日から、今まで通りの音楽生活を過ごすことにした。

 

 

目が覚めると、まずお気に入りのプレイリストを流す。支度を終えば、イヤホンをつけて外に出る。駅へは川沿いの道を歩いて10分だ。その間もずっと、

『わびさび知った象さん 天ぷらに抹茶塩』

『料金所 小銭無え チョロQで勘弁』

といった空耳は続いていた。

駅前のロータリーに着くと、うどんが盛られた器を左手で持っている男性がいた。明らかに奇妙な光景だが、通勤中のサラリーマン達は全く意に介さず改札へと進んでいく。まるでその男が見えていないようだった。

その男はテーブルに置かれた薬味を眺めながら、どれをトッピングするか悩んでいるようだ。

ちょうどその時、私の耳に

『ネギ ショウガ ミョウガ 薬味どっさり 美味』

という歌詞が流れた。それと同時に、男性は山盛りの薬味達をよそい、美味しそうにうどんをすすった。

「この病気は症状として、歌詞と同じ光景の幻聴を見ることがあります」

私は、医者の言葉を思い出していた。

 

うどんを完食した男を横目に見ながら改札をくぐりぬけ、私はホームで電車を待った。

あと3分で電車がやってくる。駅員が準備を始める。続々と待ち列が長くなる。そうした光景を見るにつれ、私の心はなぜか高鳴った。正体の分からない期待と興奮に気を取られ、私は日本語の流れるイヤホンを外した。

電車到着のアナウンスが流れる。すると私は、無意識のうちにそのアナウンスを口ずさんだ。

向こうからやって来る電車を見るやいなや、私はその車体の美しさとブレーキ音、そして到着のメロディに心を奪われた。

電車のドアが開いても、私はホームでじっと立ち尽くしたまま、その車体を眺めていた。艶のある塗装、鮮やかな配色、凛々しいパンタグラフ。乗るはずだったその電車をそのまま見送った私は、VVVFインバータが奏でるモーター音の余韻に浸りながら、駅を後にした。

駅員に声をかけて改札を出た私は、はたと我に返った。

「どうしてあんなに電車に見とれたんだ?VVVFインバータって何だ?何で知ってるんだ?」

 

何かがおかしいと思い、私は一度家に戻ることにした。

来た道を戻っていると、道端の看板が目に入った。

すると、私は再度興奮状態に突入し、看板の前で食い入るように地図と文字を追っていた。そこには、この土地が明治政府によって区画整理された歴史が記されていた。私は通り道にあるにも関わらずこれまで目もくれていなかったその看板を熟読し、その足で図書館へと向かった。そしてこの地域の地形図を開き、3時間じっと見続けていた。

 

あっという間に正午になり、空腹感を感じたところでようやく私は図書館を後にした。

料理の出来ない私は普段であれば外食、もっぱらファストフードで済ますところだが、今日はやけに創作意欲が湧いていた。

2ヶ月ぶりに入ったスーパーで、私はちりめんじゃこ、味噌、大葉、梅干し、いりごま、そして店員と交渉して大根の葉だけを購入し、オリジナル丼の開発に勤しんだ。

 

 

タモリ倶楽部症候群ですね」

私の病は進行していたようだが、医者のその言葉は、もはや私の耳には届いていなかった。

私の頭の中では、数々のお尻が音楽に合わせて揺れ続けていた。

 

 

 

 

※初出の際、「うどんが盛られた器」の表記が「うどんが盛られたうどん」となっておりました。訂正し、お詫び申し上げます。