閑古鳥の唐揚げ

全然客が来ない定食屋で鳴いていた閑古鳥を唐揚げにしたら美味しくて繁盛したが閑古鳥がいなくなり唐揚げが作れなくなったという古典落語があります。嘘です。このブログも繁盛させたいです。

第21唐 せんびきや

給料日だったので、自分に少し高価なご褒美を買うことにした。

 

日本橋駅近くの店舗に入ると、常連と思しき人でごった返し、店員の声が飛び交っていた。

「芸人の時がビートたけし、文化人の時が北野武

「顔剃り出来るのが理容室、出来ないのが美容室」

「普段着でできるのが軽い運動、スポーツウェアを着ないと汗の吸収とか気になるのが激しい運動」

 

しかし、予想していた会話と違ったので、近くにいる男性店員に尋ねてみた。

 

「すいません」

「はい」

「ここってフルーツパーラーじゃないんですか?」

「いえ、線引きをする店です」

「線を引く?」

「様々な基準や違いや境目をお揃えしております」

 

どうやら、お店を間違えたようだ。

 

「大人気ですね」

「おかげさまで。私が店長を任されてから5年ほど経つんですが、昨年の春あたりから少しずつ多くのお客様にご来店いただけるようになりましたね」

よく見ると、その男性の名札には「店長 板倉輝彦」の表記があった。

 

私は再度、何も陳列されていないショーケースを隔てて行われる客と店員の会話に耳を傾けた。

注文を受けた店員は、一度店の奥へ入っていく。その後、注文に合った回答を提供し、客が気に入れば購入する形だ。

見ている限り、ほとんどの客が購入まで至っていた。

 

例えば、

「夏と真夏の境目は?」

と注文を受けた店員は、ほどなくして

「家でステテコを履くのが夏、何も履かないのが真夏」

という回答、もとい商品を持って戻ってきた。

注文した初老の男性は、

「ありがとう、妻へのいいプレゼントになるよ。」

と言ってプレゼント用の箱に梱包してもらい、決して安くはない額を支払っていた。

 

「店の奥には何があるんですか?」

「そこは企業秘密なので、お客様には線を引いていただければ」

ニヤリと笑った店長の表情を見て、私はマニュアルの1番上に書いてあるであろう質問をしてしまった事を少し後悔した。

 

そんな中、大きなハットのマダムからの注文に困惑している女性店員がいた。

「博識の基準は?」

そう注文を受けた店員の胸元には、大きな「研修中」のバッジが輝いていた。

 

「お客様申し訳ございません。少し対応に行かせていただきますね」

店長は私に断りを入れつつ、研修中の店員の元へ向かった。

 

「お客様、僭越ながら。デカメロンが巨大なメロンの事ではないことを知っているのが博識、でいかがでしょうか」

 

満足げに財布を取り出すマダムを見て、私も何か線を引いてほしいという気になった。これが今月のご褒美だ。

 

店を出るマダムの背中に向かって研修中の店員と共に頭を下げる店長の元に歩み寄り、かねてからの疑問をぶつけてみた。

「あの、、、恋と愛の境目って、何ですか?」

 

「そうですね、、、僭越ながら。」

少し考え込む店長の言葉を、期待して待った。

 

 

「私が祐美を想っているのが恋、祐美が私を想っているのが愛です。」

 

 

「輝彦さんったら、、、」

その店員のバッジの下の名札には、「板倉祐美」と書かれていた。

 

 

帰宅した私は、クチコミサイトに

『仕事とプライベートの線が引けていない。星1』

と書き込んだ。

第20唐 「湯桶」は代表例として使うには読み難しすぎる

プラスは赤、マイナスは青で良く書かれる。

どうして、そうなのだろう。

女性は赤、男性は青で書かれることが多い。

なら、女性はプラス、男性はマイナスなのだろうか。

 

駐車場。

満車は赤、空車は青。

利用者にとっては、空車の方がプラスなのに。

駐車場って「満」と「空」が横並びになってる時あるよね。

「満空」。プラネタリウムみたい。

プラネタリウム満空、今秋オープン!」

今秋て。

「こんしゅう」って打ったら大体「今週」で変換される。

一度消して、打ち直して「今秋」。

永遠二番手。「今秋」。

「今春」と「今秋」の音が似てるのおかしいだろ。

聞き間違えで半年ズレるぞ。

「今夏」と「今冬」は似てない。

そもそもこの辺は音読する機会がない。

「この冬」で十分。

「冬(ふゆ)」は訓読みだけど音読したら音読みだよね。

え、違う?バグじゃん。

「っ」とか「ー」を発音出来ないのもバグ。

ただ、圧倒的バグは「市立」と「私立」だけど。

この表記を決めたのが自分の親戚だったとしたら、

もう葬式には行ってやらない。

2親等までなら行く。

 

そんな話し言葉に比べて、書き言葉は便利だ。

促音も長音も書くことはできる。

目は口ほどに物を言うって言うしね。

言わないだろ。目は口ほどに。

口だろ。圧倒的に。

目がもし喋るとしても趣味程度だよ。

嗜みレベル。

見るのが本業なんだから。

逆に目が何か言ってたら誰か怒るべきだよ。

「疎かにすんな」って。

口も怒れよ。

「仕事取んな」って。

鼻も言えよ。

「喧嘩すんな」って。

言えねえよ。

鼻も喋り始めたら大変なことなるよ。

顔の重鎮3人で干渉すんなよ。

こうなったら耳も黙っちゃないよ。

黙ってるよ。何も言わねえよ。

耳まで喋り始めたらもう収集つかねえよ。

 

この話も収集つかねえよ。もういいよ。

 

 

《今日の名文》

永遠二番手。「今秋」。

第19唐 鼻栓

けんたくんは、いぬのこたろうともりのなかをあるいていました。

 

するとめのまえから、ながねぎをもったおおおとこがあるいてきました。

おおおとこは、けんたくんにいいました。

「このやさいのなまえをしってるかい?」

けんたくんはすこしおびえながらこたえました。

「ながねぎ。」

おおおとこは、つづけてこうききました。

「このながねぎは、ながくみえるかい?それとも、みじかくみえるかい?」

けんたくんは、

「おじさんがおおきいから、みじかくみえるよ。」

とこたえました。

するとおおおとこは、ながねぎでひだりてをぽんぽんとたたきながらこういいました。

「じゃあこのやさいは、ながねぎといえるのかな?」

けんたくんはしつもんのいとをはかりかねながらも、きぜんとしたたいどでこうかえしました。

「そりゃながねぎだよ。このやさいはながねぎなんだから。おじさん、そんなこともわからないの!」

おおおとこは、そのことばをきくやいなや、きみのわるいえがおをうかべてました。

そして、けんたくんにながねぎをてわたしながらこういいました。

「ごめんごめん。でも、よくみてみてよ。」

けんたくんは、そのながねぎをみておどろきました。

いつもおかあさんがスーパーでかっているながねぎよりも、とてもとてもみじかかったのです。おおおとこがもっているからみじかくみえているわけではなかったのでした。

けんたくんはとまどいながらも、こうこたえました。

「な、ながねぎだよ!これはながねぎっていうなまえなんだから!」

おおおとこは、おおきなこえでわらいはじめました。

「はっはっはっ。みじかくてもながねぎか。きみくらいのねんれいでもそうなんだね。」

けんたくんは、そのことばのいみがよくわかりませんでした。

「ぼくが5さいっていうのがなにかかんけいあるの?」

おおおとこは、ながいあしをまげてけんたくんとめせんをあわせ、こういいました。

「まだわからなくていいんだ。せめられるべきは、このくにのおえらいさんたちなんだからね。さあ、これをもっていえにかえりなさい。いつかわかるひがくるよ。」

けんたくんがぽかんとしていると、こたろうがながねぎをけんたくんのてからうばうようにくわえ、いえのほうこうへはしっていきました。こたろうをおいかけてはしるけんたくんのせなかにむけて、おおおとこはさけびました。

「おきなわでかれーやにいくんだ!そこにひんとがある!」

 

 

それからすうねんがたって、けんたくんはすっかりこえがわりし、こたろうもすっかりおじいさんになっていました。

 

なつやすみにかぞくでおきなわにいくとおとうさんにいわれたとき、けんたくんはとっさにこうこたえていました。

「かれーやにいきたい!」

おとうさんは、けげんそうなかおをしました。

「だめだよ、おきなわといえばそーきそばかおきなわそばだろ。かれーなんかたべないよ。」

 

けんたくんは、みずからのちちおやのあたまのかたさにがくぜんとしました。そして、すうねんまえのもりでのできごとをおもいだしました。

「そうか。ながねぎでも、みじかくみえたらながねぎじゃなくていいんだ。きぞんのがいねんにとらわれていてはだめなんだ。」

 

そこからいっしゅうかんで、けんたくんはかれーのかおりがするはなせんのあえであをまとめあげ、ありとあらゆるめーかーへぷれぜんにいきました。そしてはんとしご、とうとうしょうひんかにこぎつけました。

きゅうかくでみかくをまどわせることでにがてなものでもおいしくたべられるとあって、そのしょうひんはみるみるうちにだいひっとしました。

 

しんぶんのいんたびゅーでこのしょうひんをつかってたべてほしいものをきかれたとき、けんたくんはこうこたえました。

 

「きざみねぎ。」

第18唐 ポスター

見知らぬ住宅街を歩いていると、見知らぬ政治家の見知らぬ選挙ポスターを目にする。

見知らぬ、とは言ってもデザインはほとんど同じようなもので、加熱処理が必要なほど鮮度に欠ける。

彼らが考えるのはキャッチコピーや名前の平仮名表記の有無だけで、それらを枠に当てはめればいいとしか考えていないのだ。前例に囚われないという概念自体がない。赤城乳業を見習うべきという指摘ももっともだ。

 

だが先日、見知らぬ住宅街の中でも特に見知らぬ住宅街の中で、異彩を放つポスターを見つけた。

 

そのポスターの中央に鎮座する女性は少し微笑んでいて、センター分けの長い髪はソバージュがかっていた。丸みを帯びた肉体を隠す服は暗色の長袖で、胸の少し下で軽く手を重ねており、背景には山脈や湖が描かれている。

 

モナ・リザだった。

 

しかし、オリジナルが持つ繊細で独特な空気感はもはや存在を消していた。より正確に言うならば、脳の処理能力が他の要素に優先的に配分されることによって感性が鈍らされ、その空気感を感じることが出来ないよう仕組まれていた。

 

まるで繊細な味を覆い隠すカレー粉のように視覚の仕事を妨げていたのは、繊細とは無縁の太字ゴシック体だった。

 

左側の「新人・無所属」「市議会議員候補」、右側の「微笑を絶やさない国・日本に!」、下部の「モナ・リザ」。大きな印字達によって、数多の研究者を躍起にしてきた描写の数々は人々からの注目を剥奪され、もはや意味を失っていた。

 

ただでさえ鑑賞者に圧力を感じさせるそのポスターだが、ブロック塀に5枚並べて貼られていることによってその存在感は更に圧倒的なものに昇華されていた。

そもそも、通常の選挙ポスターでさえ5枚並んでいると多いと感じるだろう。2枚までであれば、意味を強調する効果が期待できるかもしれない。しかし、3枚以上は野暮だ。

だからこそ、巷に流れる言葉は基本的に1回しか重なることは無い。タルタルしかり、ジャルジャルしかり。もちろん、前者は重ねなければドンキーコングの代名詞になってしまうし、後者は航空会社になってしまうのだが、それはまた別の話だ。

 

しかし、よく考えてみれば、2回言葉を重ねる、つまり3回同じ言葉を並べるものも意外と多くあるのではないかとも思える。大ヒットしたAKB48「会いたかった」もそのタイトルの詞をサビで3回歌い上げるし、ザ・たっちも3連続が基本だ。

また、5つ同じものが並んでいるというのも、状況によっては非常に強いパワーを持つこともある。ポーカーであればロイヤルストレートフラッシュをも上回るし、まして五目並べであればゲームの勝利条件そのものだ。

そう考えると、5連続も悪くないのかもしれない。私は白と黒の裸眼でもう一度モナ・リザの選挙ポスターを見ようとした。

 

 

しかし、少し考えが脱線しているうちに、そのポスターは姿を消していた。

夢だったのだろうか。そんな私の心のつっかえは、開票日の夕方に報じられた、「モナ・リザ」と書かれた無効票が大量に投票されていたというニュースによってきれいに取り外された。

 

 

全ては、老害化したバンクシーの仕業だった。

第17唐 空耳

ある朝、いつものようにお気に入りの洋楽を聴いていると、やけに歌詞が日本語のように聴こえることに気づいた。

「空耳ってやつか」

初めはそう思っていたが、どうも様子がおかしい。

歌詞の一部分だけでなく、全ての歌詞が日本語に聴こえるのだ。

 

「空耳イヤーですね」

耳鼻科の医者は聞きなじみの無い言葉を放った。

「なんですかそれ?」

「洋楽の歌詞が日本語に聴こえてしまう病気です。通称空耳イヤー、医学的には突発性内耳神経洋調症候群と言います」

「聴いたことないですね」

「かなり珍しい病気ではあります。でもここ数年増えてるんですよ」

「そうなんですか」

「この病気は音楽の聴きすぎが原因なんです。特に邦楽と洋楽を雑食的に聴くと良くない。最近一日中音楽を聴いたりする人が増えているので、それに伴って患者さんも増えてますね」

「確かに私も基本何か聴いてます」

「おそらくそれが原因かと思います。少し控えた方がいいでしょう」

「そうですか...ちなみに治るものなんですか?」

「大体1年くらいで治るので、空耳yearと呼ばれているんです。たまに1時間で治るものもありますが」

 

私は家に帰るとすぐに、イヤホンを棚の奥にしまった。

しかし習慣を変えるというのは中々難しいもので、夜になると欲求がどうしても抑えられなくなり、無意識のうちに貧乏ゆすりも多くなっていた。

「急に音楽を断つと禁断症状が出る場合があります。なので、少しづつ量を減らして行った方がいいですね。」

私は医者の言葉を思い出し、10分だけと決めてイヤホンを装着した。

 

すると、案の定洋楽の歌詞が全て日本語に聴こえてきた。

しかしその日本語は普通ではなく、

『砂漠 広辞苑で調べ 発狂』

『でんじろう 作る 八宝菜 ビリビリ』

『醤油持つ豆腐屋 銭湯でダイブ』

のように、訳が分からないがやけに意味は通っている。

「ちょっと面白いな」

妙な日本語を聴いている私の表情は自然と緩んでいた。

1年後には治るというのだから、むしろ今のうちにこの変な世界を楽しんだ方が得だろう。

私は翌日から、今まで通りの音楽生活を過ごすことにした。

 

 

目が覚めると、まずお気に入りのプレイリストを流す。支度を終えば、イヤホンをつけて外に出る。駅へは川沿いの道を歩いて10分だ。その間もずっと、

『わびさび知った象さん 天ぷらに抹茶塩』

『料金所 小銭無え チョロQで勘弁』

といった空耳は続いていた。

駅前のロータリーに着くと、うどんが盛られた器を左手で持っている男性がいた。明らかに奇妙な光景だが、通勤中のサラリーマン達は全く意に介さず改札へと進んでいく。まるでその男が見えていないようだった。

その男はテーブルに置かれた薬味を眺めながら、どれをトッピングするか悩んでいるようだ。

ちょうどその時、私の耳に

『ネギ ショウガ ミョウガ 薬味どっさり 美味』

という歌詞が流れた。それと同時に、男性は山盛りの薬味達をよそい、美味しそうにうどんをすすった。

「この病気は症状として、歌詞と同じ光景の幻聴を見ることがあります」

私は、医者の言葉を思い出していた。

 

うどんを完食した男を横目に見ながら改札をくぐりぬけ、私はホームで電車を待った。

あと3分で電車がやってくる。駅員が準備を始める。続々と待ち列が長くなる。そうした光景を見るにつれ、私の心はなぜか高鳴った。正体の分からない期待と興奮に気を取られ、私は日本語の流れるイヤホンを外した。

電車到着のアナウンスが流れる。すると私は、無意識のうちにそのアナウンスを口ずさんだ。

向こうからやって来る電車を見るやいなや、私はその車体の美しさとブレーキ音、そして到着のメロディに心を奪われた。

電車のドアが開いても、私はホームでじっと立ち尽くしたまま、その車体を眺めていた。艶のある塗装、鮮やかな配色、凛々しいパンタグラフ。乗るはずだったその電車をそのまま見送った私は、VVVFインバータが奏でるモーター音の余韻に浸りながら、駅を後にした。

駅員に声をかけて改札を出た私は、はたと我に返った。

「どうしてあんなに電車に見とれたんだ?VVVFインバータって何だ?何で知ってるんだ?」

 

何かがおかしいと思い、私は一度家に戻ることにした。

来た道を戻っていると、道端の看板が目に入った。

すると、私は再度興奮状態に突入し、看板の前で食い入るように地図と文字を追っていた。そこには、この土地が明治政府によって区画整理された歴史が記されていた。私は通り道にあるにも関わらずこれまで目もくれていなかったその看板を熟読し、その足で図書館へと向かった。そしてこの地域の地形図を開き、3時間じっと見続けていた。

 

あっという間に正午になり、空腹感を感じたところでようやく私は図書館を後にした。

料理の出来ない私は普段であれば外食、もっぱらファストフードで済ますところだが、今日はやけに創作意欲が湧いていた。

2ヶ月ぶりに入ったスーパーで、私はちりめんじゃこ、味噌、大葉、梅干し、いりごま、そして店員と交渉して大根の葉だけを購入し、オリジナル丼の開発に勤しんだ。

 

 

タモリ倶楽部症候群ですね」

私の病は進行していたようだが、医者のその言葉は、もはや私の耳には届いていなかった。

私の頭の中では、数々のお尻が音楽に合わせて揺れ続けていた。

 

 

 

 

※初出の際、「うどんが盛られた器」の表記が「うどんが盛られたうどん」となっておりました。訂正し、お詫び申し上げます。

第16唐 「希少」を「稀少」と書くのは希少

私の父は転勤族だった。

小学校だけで8回の転校を経験したが、転校先での出席番号はほとんどいつも一番最後。それは「流川」という名字のせいなのだが、出欠確認の時には「途中参加の奴を最後にオマケで呼んであげている」感を覚えずにはいられなかった。

 

唯一、最初に入学した学校では出席番号が最後から2番目だった。それは「瑠璃」という珍しい名字の女の子が同じクラスにいたからである。初めての転校は1年生の10月だったため、その学校には半年しかいなかったのだが、それでも強烈に頭に残っている先生がいる。担任だった浜北先生だ。

見た目は普通のおばちゃん先生だが、とにかく行動が破天荒だった。例えば、朝学校に乗りつける車は黒光りのスーパーカーであった。その半年で覚えた英語は、ハロー、グッバイ、そしてガルウィングだった。

様々な行動の中でも最も心に残っているのが、教室の席配置。私たち1組は31人クラスだったため、本来なら6席の列が1つ、7席の列が1つできるはずだ。しかし先生は、窓側から5席・7席・5席・7席・7席の並びにし、5席の列後方の空いたスペースに、計4つのスピーカーを自宅から持ってきて設置した。そして教卓に集音マイクを設置し、スピーカーからステレオで流した。

BOSEの大型スピーカーに囲まれた席に座っていたのは蓮明くんと馬場くんであったが、この措置がえこひいきなのか嫌がらせなのかはクラスの中でも意見が割れていた。

そしてこの席順は4月から全く変わらなかった。私をはじめ、生徒からは席替えの要望が絶えなかったのだが、先生はそれを頑なに拒否し、その理由についても全く教えてくれなかった。

 

そんな浜北先生は、私の引越し前日、わざわざ家まで来てお別れの言葉を伝えてくれた。新しい学校でも勉強を頑張ること、私には少し内気な所があるから自分から周りの子に話しかけて友達を作った方がいいこと。

そして最後に、こう伝えてくれた。

「先生はね、流川くんの事をとても大切に思っていたの。あなたが転校するって聞いてとても悲しかった。だって、流川くんは貴重な『る』だったから。」

私は、先生が何を言っているか理解出来なかった。

「君たちの席を固定してたのはね、みんなの名字の頭文字で短歌を作っていたからなの。私の大好きな俵万智さんのね。」

隣で聞いていた私の母も、あんぐりと口を開けてその言葉を聞いていた。

「私はこのクラスの名簿を見た時、遂に神様が私に微笑んでくれたと思ったわ。クラスの人数、文字の種類と数、全部ドンピシャ。特にあなたと瑠璃さん。『る』が難関だったの。あなた達2人には本当に感謝しているわ。私の夢を叶えてくれて、ありがとう。」

 

 

先生が帰ったあと、

私は母に「怖いね。」

と話しかけた。

すると母も、

「怖いね。」

と答えた。

その時、私は初めて、

背筋が凍るということの意味を知った。

 

 

 

 

 

        教卓

 

佐野  橋本  佐藤  小西  今関

向井  奈良橋 村中  田中  流川

井桁  柴原  石川  江東  朝田

根本  影山  寧山  瑠璃  竹内

所   毛塚  遠山  菱田  武内

(L)          蓮明        (R)        東明  加藤

(L)          馬場        (R)   野澤  斉木

 

 

第15唐 鈍り行き #1

ソメイヨシノが満ち咲く川沿いを、私は歩いていた。家からほど近いこの土手は、サラリーマン時代によく犬を散歩させた道だった。太陽を反射する水面の向かいでは、真新しいランドセルを背負った小学生が3人並んで歩いている。風で乱れた前髪を直しながらふと桜並木に目をやると、満開の中に1本だけ枯れ切った木があった。華やかな桜たちから取り残されたその裸木を、私は直視することが出来なかった。

 

 

春は出会いと別れの季節だと言うが、私のこの春には、別れだけが訪れた。会社、友人、そしてお金。ただでさえ少なかった貯金は、あっという間に底をつき、気温の上昇と反比例するように、懐は寒くなっていった。

 

1週間前、新しい年度を迎える日に、私はとうとう、財布を質に入れた。それ以外にお金になりそうなものが見当たらなかったこともあるが、何よりお金の入っていない財布の姿が不憫に思えたのである。そうして手に入れた数千円も、7日間ですぐに消えていった。残ったお金は149円。金額の割にジャラジャラとポケットの中で音を立てる硬貨達は、楽器を本業とした方が良さそうだ。

 

149円をどう使うか。桜並木が終わるまでに、その結論に辿り着かねばならない。コンビニでおにぎりを買い、小腹を満たすか。この土手に寝転がって食べるおにぎりは、さぞ美味しいだろう。さっきの子供達にあげてもいい。未来のある彼らの小腹の方が、私なんかよりもよっぽど大切だ。若者の価値ある小腹を満たすことが私の価値だと、思考と桜並木が結びに近づいて来た時、川と交差するように伸びる線路の踏切が見えてきた。そうか、この近くには駅がある。隣駅までの切符で、終着駅まで電車に揺られるのも悪くない。折り返してこの駅まで戻ってくれば、130円で車窓を眺める旅に出ることが出来る。


私は駅に着くと、予定通り切符を購入した。音色の変わったポケットを揺らしながら改札に切符を通した私の心には、まだ見ぬ街を車窓から眺めることへの期待感と、額面以上の距離を移動することへの罪悪感が生まれていた。


私は都心から離れる方面のホームへ向かった。電車を待っているのは、錆びれたベンチに腰掛けた老女だけだった。私は、その老女の前を通り過ぎて、ホームの端へと向かった。せっかくならば、先頭の車両で進行方向の景色を見ながら旅がしたい。頬杖をつきながら流れる風景を眺める自分の姿を想像すると心が踊ったが、川辺の新一年生達を思い出し、その踊りを恥ずかしく思った。大人というのは落ち着いているものなのだ。


10分ほど待つと、電車の到着を知らせるアナウンスが流れた。私は長く伸びるホームの端で身を乗り出しながら電車が見えるのを待った。しかしなかなか姿を見せない。すると私の背中側から突然、大きな汽笛が聞こえた。驚いて振り返ると、電車はすでに目の前まで迫ってきていた。私は仰け反って大きく2歩後退し、そのまま余韻で5歩刻んだ。驚いた所を周りに見られなかっただろうか、一瞬だけとはいえカッコ悪い事をしてしまった、電車が来る方向を間違えていたことが悟られなかっただろうか、と頭で考えながらもポーカーフェイスを保ち、さらにポケットに手を入れた。電車が完全に止まるまで大人の余裕をポーズで示し続けた後、誰か見ていなかったかとホームを見渡した。しかし私の目に映ったのは車体とホームの隙間だけに注意を向けてゆっくりと乗り込んむ老女の姿だけだった。私はポケットの1円玉をまさぐりながら最後尾の車両に乗り込んだ。

 

《#2へつづく》