「ピエールと言えば?」
この問いに、今の私ならなんと答えるだろう。
あの日の感情の高まりは、今もまだ私の心に残っている。
終日運転が取りやめられた埼京線。
行き場を失い転がり込んだネットカフェは、思いのほか充実した場所だった。
コーヒーの痕がまだ新しい漫画達に読み耽っていると、体感では3時間も経たないうちにニワトリの声が街に鳴り響いた。
午前5時の渋谷駅もまた、東京の顔の一面である。私と同じく運転再開を待っていたと思われる人々は、すでにホームで冷たい風に震えながら始発を待っていた。しかし、時刻通りやってきた電車は我々の蒼白い顔を嘲笑うかのように冷たい空間を用意してきた。
やっと暖房の風が車中に回り切ったのは新宿に着いた頃だった。と同時に、睡魔も3号車にやってきたようだ。周りの乗客が眠り始めたのを見て、私も視界を諦めた。
意識がうつつから夢へ移りそうなその時に、ようやく違和感に気づいた。
「なぜ渋谷にニワトリが鳴いていた?」
鳴り響くわけがないのだ。この街に。
地元の片田舎ならまだしも、渋谷に養鶏場はない。
ならば、あのニワトリの鳴き声はなんだ。
私は、充電残り6%のスマホで検索した。
あった。
渋谷にも、養鶏場があったのだ。
「かわかみ養鶏場」は、その年の11月にオープンしたばかりだった。
「東京のど真ん中で、家畜を飼っている。」
どうせ皆寝ているのだからと、声に出して言ってみた。
「東京のど真ん中で、家畜を飼っている!」
もう少し大きな声で言ってみた。
3号車の中で、いや、おそらくこの始発の中で私だけが気づいたであろう事実。私の心は沸き立った。
東京は地方を貪る消費の街。上京前に抱いていたイメージは、上京後にさらに肥大化していた。
しかし、この「かわかみ養鶏場」は、東京を生産の街にするためのきっかけになるかもしれない。
東京は確実に変わっている。
近いうちに都心に現れるであろう養豚場に想いを馳せながら、電車は埼玉県に入っていった。
「ピエールと言えば?」
この問いに、今の僕なら「瀧」と答えるだろう。
それも、ジーコの「巻」の言い方で。