「こんちはー!回収に参りました!」
朝露が残る住宅街に、爽やかな声が響き渡る。
「おかしいな、、、ここの先生はいっつもすぐ出てきてくれるのに。」
彼は、二度目のチャイムと共に、先程よりもボリューミーな声をその家に投げ入れた。
「こんちはー!!フクセン回収センターです!」
微動だにしない家の様子を見て、彼は頭を切り替えた。
「仕方ない、他の家で出てるのをやっとくか。」
ここ、櫛田市樫爪区、通称「カンヅメ区」に作家が集まり始めたきっかけは、10年前の区長交代だった。
新区長は当時深刻だった環境問題に取り組み、「環境にやさしいまち・樫爪」プロジェクトの一環として、「市が定めるゴミの回収日以外に、ゴミ以外も回収可能な区独自の回収日を設定する」という施策をとった。
そこに目をつけたのが、伏線の処理に困っていた作家達だった。
作品の序盤で無闇矢鱈に張ってしまった伏線も区が回収してくれるという噂が口コミで広まり、区長交代から1年で、約5000人の作家が樫爪に移住した。
移住した作家がまた知り合いの作家を呼ぶ形で、その後も作家の数は加速度的に増え続けた。樫爪は「文学のまち」として全国的に有名になり、聖地巡礼に訪れるファンも急増した。
一方で、作家以外の住民からは不満が噴出した。
紐で縛られた伏線達がありとあらゆる軒先に出される水曜朝の奇妙な光景。住宅街で騒ぐファン達。文学部だけになった樫爪高校の部活動。
一般区民にとっては、あまりに住みにくい環境となってしまっていたのだ。
こうして、作家ではない区民達は続々と区外へ引っ越した。「カンヅメ区」という通称は、元区民の1人が、区全体がまるで1つの作業場のようで、締切直前の時期になるとそれぞれが家に籠り、パタッと人出が途絶える様子を揶揄して言ったのが始まりとされている。
激しい転入と転出が繰り返された樫爪だったが、区長が3期目に突入する頃になると、住民における作家の割合は8割を越え、漫画家や映画監督も増え始めていた。それによって出される伏線の量も一気に増え、もはや区の力だけでは回収し切れない量にまで達してしまっていた。
そこで区長は、民間企業に伏線回収業務を委託することを決断した。その時選ばれた業者こそが、この(株)フクセン回収センターである。
「39ページ目だけが破られた漢和辞典、青だけインクが切れている3色ボールペン、内角の和が270°の三角形っと、、、今日は結構少なかったな。最後のは伏線って感じじゃないけど。」
担当地域の軒先に置かれた伏線をあらかた回収した彼は、トラックに乗り、最初に訪ねた家へ向かった。
その家へ向かう最後の曲がり角を曲がると、家の前に大きな本棚と女性の姿があった。
「先生!おられましたか!」
彼が運転席から窓を開けて声を掛けると、先生と呼ばれたその女性は、ボサボサの頭を掻きながら答えた。
「ごめんなさいね、昨日遅くまで書いてて、、、これ、お願いね。」
女性より15cmほど高い本棚はかなり埃をかぶっているが、2段目の右隅だけは新品のように綺麗だった。その側面には、区指定の粗大伏線シールが貼られている。
「承知しました!今日はこれだけですかね。」
「うん、そうよ。ウチはシール貼らないといけない大きさのが多くてごめんね。」
「いえいえ、これが仕事ですから。またご連絡お待ちしてます!」
元気に答えた彼の右腕を見ながら、ご婦人は少し悲しげに呟いた。
「あなたのその腕も回収できればいいのにねえ。」
彼は苦笑しつつ、自分の右腕に目を下ろした。
「僕の腕の伏線は、どうもずっと未来で回収されるようなので。その時が来るまで待ちますよ。」
彼の腕には、半年ほど前から「R」のマークが浮かび上がっていた。